2008年11月27日
ジョン・クラカワー 『空へ』
雨になりましたね
先日来読んでいた『空へ』を読み終えたのでレポートを少し。
『空へ』は、著者のジョン・クラカワーが参加した1996年のエベレストのガイド登山隊の記録です。
ジョン・クラカワー自身もクライマーですが、この登山では、営業登山隊をレポートするためにアメリカのアウトドア誌・「アウトサイド」からの派遣によって参加。彼自身は登頂に成功し、生還していますが、この登山では、彼が参加したNZのガイド、ロブ・ホールの隊だけではなく、他の遠征隊も含め多くの犠牲者を出しています。
その中に、日本人女性で田部井淳子さんに次いでエベレストに登頂した難波康子さんも含まれていることを、本書で知りました。難波さんは登頂には成功し、7サミッター(7大陸最高峰完登者)になったものの、下山途中で遭難されています。
本書の前半では知っている地名が出てきたり、そこでの様子を思い出したりして楽しく読みすすめていましたが、後半は壮絶なエベレスト登山の様子、高所や寒さとの闘い、そして次々と犠牲者がでてくる様子など、ハラハラしつつもとても重かったです。
営業隊で、ガイドやシェルパ他多くのスタッフにサポートされての登頂とはいえ、エベレスト登頂の大変さ、多くの隊が参加するための混雑ぶり、その中での駆け引き、メンバー間の人間模様などが臨場感をもってレポートされていました。
営業隊では、より多くの顧客を登頂させるために、時にガイドが無理をしてしまう場合もあるようです。
高所による内臓や脳などの機能障害、そのために筆者自身の記憶もあいまいな箇所もあったり、彼自身の思い違いもあったり・・・それを補完するために他のメンバーへのインタビューも行ったりしての記録になっています。彼自身、同じ隊のガイドや仲間が犠牲になった登頂からの生還なので動揺もある中での執筆であり、また、執筆することで犠牲者の周りの人からの非難を受けたりしたようです。
エベレスト登頂は、体力はもちろんのこと、時間もお金もかかること、あらためて思いました。
私たちがベースキャンプまでトレッキングしたときにも、サミットまで行くという登山者にも会いましたが、彼らの登頂への思いや意気込みを思い返したりもしました。
世界最高峰を目指す登山者の、サミットへの思いをとても感じます
先日来読んでいた『空へ』を読み終えたのでレポートを少し。
『空へ』は、著者のジョン・クラカワーが参加した1996年のエベレストのガイド登山隊の記録です。
ジョン・クラカワー自身もクライマーですが、この登山では、営業登山隊をレポートするためにアメリカのアウトドア誌・「アウトサイド」からの派遣によって参加。彼自身は登頂に成功し、生還していますが、この登山では、彼が参加したNZのガイド、ロブ・ホールの隊だけではなく、他の遠征隊も含め多くの犠牲者を出しています。
その中に、日本人女性で田部井淳子さんに次いでエベレストに登頂した難波康子さんも含まれていることを、本書で知りました。難波さんは登頂には成功し、7サミッター(7大陸最高峰完登者)になったものの、下山途中で遭難されています。
本書の前半では知っている地名が出てきたり、そこでの様子を思い出したりして楽しく読みすすめていましたが、後半は壮絶なエベレスト登山の様子、高所や寒さとの闘い、そして次々と犠牲者がでてくる様子など、ハラハラしつつもとても重かったです。
営業隊で、ガイドやシェルパ他多くのスタッフにサポートされての登頂とはいえ、エベレスト登頂の大変さ、多くの隊が参加するための混雑ぶり、その中での駆け引き、メンバー間の人間模様などが臨場感をもってレポートされていました。
営業隊では、より多くの顧客を登頂させるために、時にガイドが無理をしてしまう場合もあるようです。
高所による内臓や脳などの機能障害、そのために筆者自身の記憶もあいまいな箇所もあったり、彼自身の思い違いもあったり・・・それを補完するために他のメンバーへのインタビューも行ったりしての記録になっています。彼自身、同じ隊のガイドや仲間が犠牲になった登頂からの生還なので動揺もある中での執筆であり、また、執筆することで犠牲者の周りの人からの非難を受けたりしたようです。
エベレスト登頂は、体力はもちろんのこと、時間もお金もかかること、あらためて思いました。
私たちがベースキャンプまでトレッキングしたときにも、サミットまで行くという登山者にも会いましたが、彼らの登頂への思いや意気込みを思い返したりもしました。
世界最高峰を目指す登山者の、サミットへの思いをとても感じます
Posted by Cafe びすたーれぃ at 22:44│Comments(1)
│日々のこと